海辺のふかふか

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『はじめての短歌』を読んで生き方を考える

『はじめての短歌』は、歌人穂村弘さんが慶應大学で社会人向けに行った講義の内容をまとめた本です。この本の第一講では、人間は「生きのびる」と「生きる」の二重の世界を生きていて、短歌は「生きる」側の行為だという話をしています。課長に課長代理がいるように「生きのびる」世界の自分は替えが効きますが、夫に夫代理がいないように「生きる」世界の自分は替えが効きません。「生きのびる」すなわち生命を存続させないと「生きる」ことも出来ません。しかし人が生まれるのは「生きのびる」ためではなく「生きる」ため、と穂村さんは語ります。

今『はじめての短歌』を読んで感じたことは、生きのびることと生きることをいっしょくたに人生を考えていたのが、ここしばらくの閉塞感に繋がっていたのではないか、ということです。「生きのびる」世界に「生きる」も求めなくてはいけないとどこかで思っていたから、歪みが生じていたのではないか。平たくいえば、好きなことで生きていくべきだと思い込んでいたかもしれない、いう話です。

好きなことで生きていくべきなのだとしたら。好きなことはあるけど、好きなことをマネタイズするのは好きなことじゃない。じゃあ生きる術がない。そんな行き詰まりがありました。

『はじめての短歌』で第一講を中心に語られているのは、誰もが「生きのびる」と「生きる」両方の世界を生きているということ。食うに困っていたら「生きる」を追求している場合ではないように、2つの世界を完全に切り離してしまうことは出来ないと思います。でも「どう生きのびるか」と「どう生きるか」を別軸として考えることがあってもいいかもしれないと思いました。

個人的な話をすれば、今の職場が言ってしまえば及第点で、もっと自分に向いていない環境だって山ほどあるだろうことを考えれば恵まれた環境にあって。それでもより理想的な生き方みたいなものを目指して、今の環境を手放してチャレンジするべきなのか、みたいな考えが頭の片隅にくすぶっていたのですが、とりあえず及第点の職場で仕事をして「生きのび」つつ「生きる」のもアリかなと、今の自分にストンときたのでした。