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【読書感想】『実力も運のうち』良かったのでみんな読んで〜

マイケル・サンデル『実力も運のうち:能力主義は正義か?」を読みました。

あらすじ

あらすじって言わないか、概要。能力主義の行き過ぎを批判する内容です。その人が手に入れた富はすべてその人の能力のおかげだとするのがざっくりいうと能力主義なんだけれども、それって本当にそうだろうか?サンデルはいくつかの観点から疑問を呈します。

  • まず、その努力ができる環境に助けられている(経済状況、人脈など)
  • それに、その能力が社会に評価される時代に生まれるのも偶然(巨万の富を稼ぎだすバスケットボール選手が、フレスコ画家が一世を風靡していた中世ヨーロッパに生まれたら?腕相撲の世界チャンピオンがバスケットボール選手ほど稼げないのは、バスケットボールではなく腕相撲の才能があった彼もしくは彼女の責任だろうか?)
  • そして資本主義社会で手に入る富は、その仕事がどれだけ社会に貢献するかとは比例しない(麻薬の売人と高校教師、どちらが儲かる?どちらが社会の役に立つ?エッセンシャルワーカーとデイトレーダーなら?)

その人が手に入れた富は完全にその人の能力に値するという能力主義は、富を持たない者の尊厳を蝕み、社会の連帯を難しくする。自分の運命を偶然の産物だと感じる謙虚さを持てば、分断の少ないより寛容な社会を作ることができるだろうと、サンデルは語ります*1

思ったこと

本当にそうだなって思った!

勉強について

私は昔から勉強っていうものが得意で、学校なんか通ってるとそれだけで高評価が得られちゃうわけなんですけど、ずっと違和感があって。確かにテストの点数はだいたい高いし、私はそのためにとっても頑張っているけど。でも同じくらい頑張った人が同じくらいの結果が出るかというと必ずしもそうじゃなくて、私に備わっていた勉強する才能のおかげもきっとあって、その才能が例えばスポーツだったり困っている人にすぐ気付く才能だったりに比べて優れている理由はないよなあ。勉強だけ社会的評価が高すぎると思った。それに私は勉強するのがそんなに苦じゃないけど、いろんな理由でそれが苦だって人もいると思うし、それはそういう風に生まれたその人の責任ってわけでは、100%そうというわけではない。あと私は幸運にもおうちに帰れば静かな部屋で勉強ができるけど、例えば家が狭くて幼い弟妹がいたりそれどころではない場合だってあるだろう。私は私の出来ることをするけど、私に出来ることは私だけのおかげじゃない。もちろん、出来ないことも。

仕事について

運よく就職できまして、仕事の進め方研修みたいなものを複数社合同で受ける機会がありました。グループワークの私ともう1人がIT関連でもう1人が土木業だったんですけど、ITすごいですね〜みたいな話の流れで、土木業の人が「俺、パソコン使えないから……」って言ったんです。そんな顔させちゃいけないと思った。私が仕事をどれだけミスったって誰も怪我しない安全な環境で仕事してる間に、現場に立ってみんなが必要な道路を作ってる人に、そんな顔させちゃいけないと思った。楽して大金を稼ぐのが賢くてクールっていう風潮、本当に必要な仕事をする人たちの尊厳を削いではいないだろうか。

理想の世界について

個人的な感覚ですが、生きるって、みんな自分に出来ることをやっているに過ぎないと思う。その出来ることってかなりの割合であらかじめセットされている。どれだけそのあらかじめセットされた限界を超えていこうと思えるか、っていうところまであらかじめセットされていると思う。だから「自分に出来ることをやっている」という点ではみんな同じなので、みんな同じ大きさって認め合える社会になったらいいなと思う。これは自発的な努力を否定するものではなくて、いっぱい頑張りたい人は、いっぱい頑張った結果誰かより偉いと思われること以外にモチベーションが見つかると思うので、頑張りたい分頑張ったらいいし。その人だけのお陰じゃなくても、すごいもんはすごいから。

まとめ

文庫にもなってるので興味のある人にはぜひ読んでみてほしいし、「実力は実力だろ」って思う人にもぜひぜひ読んでもらいたいです。これの前に有名になった『これからの「正義」の話をしよう』よりも取り上げられる例が大学受験とか、ニュースでもよく聞く大統領選とかで比較的身近な感じがしたので、初めてサンデルを読む人にもおすすめ(※その2冊しか読んだことない個人の感想)。

 

参考文献

マイケル・サンデル『実力も運のうち:能力主義は正義か?』鬼澤忍訳 早川書房、2021年。

*1:『実力も運のうち』323頁より。ここでいう分断の一例として、アメリカ大統領選に見られる保守とリベラルの対立が本文中で挙げられています。